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第34回 レメディ研究部 活動報告 ゴース 

ゴース
イギリス ゴース_190320_0018
ケルトの暦では、ゴースは春分に当てられた樹木だそうです。春分の日を明後日に控えたタイミングでのゴースの学びでした。
マメ科ハリエニシダ属のゴースは、繁殖力の強さと駆除の難しさから、日本では外来生物法によって要注意外来生物に指定され、身近な場所で見かけることはあまりないようです。ヘザーと共に、景観植物と呼ばれるゴースを見てみたいです。春先に一面の菜の花の景色を見たときのような、心がぱーっと明るくなるような喜びに似ているのでしょうか。ゴースの黄金色は太陽の色ですね。



それぞれのゴース
「希望のなさと絶望感のために、戦うことを諦めてしまった人たち。」と、ゴースはとても重い印象であるため、自分に必要であるとはなかなか思えないですね。

吐き気やめまいを伴うひどい頭痛、肩首背中がガチガチに凝ってしまう不調に突然陥ってしまった経験はありませんか?「バッチの花療法」p.118には、患者は人格レベルで消極的な抵抗をしていることになり、自分の高次の自己との繋がりを断ち、積極的に人間形成する方向からもどんどん遠ざかって、ますます生ける屍のようになっていきます。とあります。
「フラワーエッセンスヒーリング」p.81には、身動きがまったくとれなくなるほどの症状なのに、その意味を深く考えようとはしてこなかったのです。やりたいと願ってきたことと、やらねばならない仕事の狭間で身動きが取れなくなっていました。…自分の内側からあふれてくる思いに従って生きていけるように…高次の自己に従った生き方ができるように、体を通して教えられていることに気づいたのです。と記されています。
これを読んで、願いを諦めて希望が持てない自分の心の状態に思い当たった方がいらっしゃいました。
人格レベルというのは、こうあるべきという、両親や世間の求める形や自分で勝手に決めたルールに縛られて生きている、低く制限された自分のことです。心惹かれて仕方ないような高次の自己から来る思いを自らせき止めて、希望がないと感じていることは、消極的な抵抗というわけです。
子どもの頃は、自分のやりたいことやワクワクすることがわかっていてそれがやれたのに、大人になるにつれてわからなく、できなくなっていませんか?魂の声と現実を生きる自我との間に隔たりができて、知らず知らずのうちに自分を縛って固くなっていく。それは体に硬直という病になって現れるのかもしれないと思いました。

なんだかモヤモヤし訳がわからぬ落ち込みを感じていたときに、ゴースを提案されたという方がいらっしゃいました。
「えっ?ゴース?」と思った瞬間、爆発的に心に炎が燃え上がり、本当はやりたかったのに諦めていたことを思い出して、目が覚めるような気持ちで行動されたそうです。消えそうだった炎は、それでも心を焦がし続け、燃え上がる機会を決して諦めていなかったのでしょう。それは、生き物が眠りにつく冬至の頃に咲き始めて、春分の頃に爆発的にたくさんの花を咲かせるゴースの仕草と重なります。

ままならない日常生活の中で、ゲンチアナが積み上げられパターン化し、いつしかゴースになっていたと自己分析される方もいらっしゃいました。
本当は叶えたい希望があるのに「どうせ無理」が口癖で、ひねくれた諦めをため込んで、ある日突然爆発させてしまうことを繰り返してきたそうです。このようにゲンチアナが慢性化してゴースに移行するように感じることもありますが、突然ゴースに陥る(ゴースが現れる)こともあるようです。

ネガティブな状態に傾いたとき、感情に強く表れる人、体の不調に現れる人、なんとなく違和感を感じる人…みなそれぞれ違います。肩がひどく凝ったからとマッサージを受けに行くその前に、頑なになって気持ちが縮こまったその時に、自分の心を覗いてレメディを飲んでみることは、気づきにくい自分の傾向を知る練習になるかもしれません。

あきらめ
あきらめている状態に、ゴースとワイルドローズで迷うことがあります。周囲の状況や自分の思い込みであきらめていながら、心の奥底のあきらめきれない小さな埋み火のような気持ちに焼かれるような辛さはゴース。心が冷め切って、もはや何事にも心が動かなくなっているときはワイルドローズ。
いえ、カテゴリーを見てみましょう。ゴースは内心の不確かさ、ワイルドローズは現実への無関心です。ともに絶望ではないということも含めて考えるとストンと納得できますね。
気づくのが怖くて見ぬふりをしたい自分の感情を、カテゴリーごと受け止めて向き合って感じていくことが、癒すということにつながるのではないでしょうか。

「バッチフラワーエッセンス辞典」p.70にゴースの(プラスの)素質を強く持っている人は、大変前向きで楽観的であると同時に、望みや希望を持たず、むしろ断念する心の準備があるような人物となるでしょう。しかしそうした態度は、否定的で絶望的な意味においてではなく、すべての事柄の前提としてを捉えた東洋的世界観を基礎に置いたものです。とあります。
無常観、諦念を悲しみ、希望を見いだせないのは短いこの世でのことであり、執着のない魂の世界は全て受容できることで満ちており、絶望はない。と言えるのかもしれませんね。
p.71の私たちの世界で起きるすべての現象は、人間の表面的な望みとは違う次元で、しかも私たち一人ひとりにふさわしく定められている。という部分は、「バッチの花療法」p.119のプロセスを運命として受け入れることを学ぶ必要というところや、「汝自身を癒せ」のその目的に最もふさわしい生命の枝に私たちを配置するのですという部分や、
イギリス ゴース_190320_0004
大きなことを成し遂げるために 
強さを与えてほしいと神に求めたのに 
謙遜を学ぶように 弱さを授かった 

偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った…


という『ある名もなき兵士の詩』と重なるように思います。

この世を生きる悲しみは誰もが背負っています。新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』のように。でも、私たちの魂は喜びと希望しか知らないということを忘れずに生きていけたらいいなと思います。


ゴースとともに
ハリのような葉、枝と枝を絡み合わせて支え合っているゴースの仕草は、ゴースの人を決して一人にすることなく生きていこうと思わせてくれます。

子どもの頃、黄色が大好きだった方はたくさんいらっしゃるでしょう。大人になるにつれて様々な色を経験して、そして再び黄色に戻ってきているように感じます。黄色は希望の色です。

ゴースのレメディを「瓶づめされた太陽の光」と表現した方がいらっしゃいます。心を照らし、温める希望が確かにそこにあるのに、気づけない、触れられない、感じることができない状態に陥ることは誰でもよくあることだと思います。自分の中の熱を目覚めさせる確かな希望をその手でつかみ、再び生の炎を燃え上がらせるために、ゴースのレメディを飲んでみましょうか。

ゴースを必要とする状態も誰一人として同じではありません。花の色、とげの様子、荒れ地に生えること、種が真っ暗な地中で長い間生き続けること、コンサルの経験、自分の感覚…ゴースらしさを感じる手がかりも誰一人として同じではありません。どれが正しいわけでもなく、間違いもない。参加した人の数のそれぞれのゴースの解釈が一つになって、今日、この時だけのゴースの姿が形を持って現れてきました。
バッチ博士が共感と共鳴によりレメディとなる植物を見つけたように、この頃レメディ研究部が近くなると、そのレメディが必要な状態になってしまう人がちらほら…。次回はオークです。限界を超えても尚頑張り続けてしまわないように、気をつけなくては。
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bachmania38

Author:bachmania38
東海地区バッチフラワーレメディのプラクティショナーのコミュニティー「BFRP東海」のちょっとマニアックなブログです。

バッチフラワーレメディやレメディの開発者であるバッチ博士の哲学の研究や研修の報告をはじめ、レメディのもとである植物の詳しい観察記録などを綴っていきます。

公式ブログ「バッチフラワー東海だより」のきょうだいブログです。

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