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第19回レメディ研究部活動報告 ワイルドローズ

ワイルドローズ

冬の匂いのする冷たい風が吹いています。
ワイルドローズは秋に、ゆるやかな曲線を描き若枝を伸ばすので、今、冬の眠りにつこうとする植物達の中で、緑の茎は生命力を感じさせてくれます。
ワイルドローズ

ワイルドローズの花に感じる気持ち
5月の薫る風の中花開くワイルドローズは、一重の五枚の花弁を平らなお皿のように開きます。
その花の姿を見る時、私たちはどんな気持ちになるのでしょう。
あきらめ、あけわたしてしまったように感じる時もあります。無邪気にオープンな感じを受けることもあります。無防備だけれど信頼した感じに癒やされることもあります。花からは無邪気な喜びが溢れるようで、いつの間にか花と私の境界がなくなり私の胸にも喜びが溢れてきます。ゲンチアナの花は内に秘めた形をしていますが、ワイルドローズは60本あまりの雄しべを隠しもせず見せ、開いた感じがします。
私たちは自分を相手に投影して、見て、感じてしまいがちですが、植物はすべてポジティブで、そのポジティブさが私たちのネガティブな感情を洗い流してくれるように思います。バッチ博士も言われました、欠点を洗い流すため、その欠点とは反対の美徳を自分の性質の中に流し込むのですと。それが対症療法でもなく同種療法でもない、フラワーレメディの素晴らしさではないでしょうか。

ワイルドローズと私たちのネガティブな感情
「植物のかたちとはたらき」p.267にあちこちを向いて平らに開く花弁の中心部は、黄金色の雄しべで満たされ、光や刺激や信号を探すパラボラアンテナに似ているという記述がありますが、関心や献身との関わりに思いが至ります。「バッチの花療法」p.264に、献身と内面の動機付けが関連しています。とあり、「汝自身を癒せ」第七章には、人生に対して強い興味を持つことです…諦めは、人生という旅において、人を単なる不注意な通行人にしてしまいます。とあります。

私たちが物事に対する関心を失い、大いなる全体の中での自分の役割に身を捧げて生きること ができなくなるのは何故なのでしょうか。
「バッチフラワーエッセンス辞典」p.205には支配的で自己中心的な親や教育者によって幼児期に作り出された精神的虐待の産物です。とあります。本来溢れる関心やエネルギーを持っているのに、あきらめねばならない体験からワイルドローズになってしまうこともあるのでしょう。
「ワイルドローズにならなければ生きて来られなかった」とおっしゃった方がみえました。傷つき失望することを恐れて、ハートを閉じて無感覚になることは自分を守る大事な感情でもあると思われます。感受性が豊かであるがゆえに、自分にとって大切なことへの愛着を回避して幸せの感度を下げてしまうのですね。
そしてそれは、人生に関わる大きな問題だけではありません。
疲れて何もやる気にならないことが誰にでも時にはあると思います。オリーブかしら?ホーンビームかしら?
レメディをとってみても一向に変化がなかった時に、ふとこれはワイルドローズかもと思って飲んでみると、不思議なくらいスッとしたことがありました。無防備に出してしまった自分を受けとめてもらえなくて、干からびてしまったのかもしれません。
政治について、教育について、自分一人の力では如何ともしがたい現実に失望してしまいそうな時、その一歩手前で、それについて考えることも感じることも放棄してしまう。こんな部分的なワィルドローズになることもあるのです。
ワイルドローズのマイナスの状態にある人と一緒にいると退屈になってしまうかもしれません。だから、一緒に行動してくれないのかしら?と思ったことが自分の中のワイルドローズに気づいた最初だったと言われる方もみえます。
「バッチの花療法」p.264の献身ということの本質を誤解して、否定的な意味にとっています。…大いなる全体の中での自分の役割に身を捧げて生きることができず…自分の人生の主導権を放棄してしまいします。という記述に、嫁ぎ先の四世代同居家族の中で、自分がずっと感じてきたのはワイルドローズだったのかもと思い当たった方もみえました。

あきらめと受容
ワイルドローズのネガティブの状態にある私たちの心の中をのぞいてみますと、感情を麻痺させて無関心、あきらめの様相を呈してはいますが、本当はあきらめたくなかった、不本意だという気持ちも見える気がいたします。不遇な状態の中に留まることで抵抗を表しているのではないかと考えたいですが、抵抗していることさえ気づかないといった方が近いかもしれません。そんな時に飲んだワイルドローズによって、なされるがままになっていた自分の中にあきらめがストンと落ち、前に進もうと思えるようになったのです。これは、あきらめが受容へと変容した瞬間だったのかもしれません。

バッチ博士はワイルドローズのネガティブな人を 十分な理由もなさそうなのに、起こること全てを甘受している人です。人生を滑り抜け、あるがままに受け入れ、物事を改善したり、喜びを見出す努力をしません。不満も言わず、人生という闘いに降参してしまった人です。と言われました。
私たちは様々な場面で実際に、諦めと受容について考えさせられますが、
「バッチフラワーエッセンス辞典」p.206 の諦めの態度を、運命に服従する態度と同じだと解釈してはならないでしょう。…運命に従う態度は,運命の手に全幅の信頼をもって自らをゆだねるところにその本質があり…諦めの態度は、運命を拒絶する態度にその本質があり…出会いや出来事に関心を失い…抵抗せずに人生を受け入れてはいても、人生に同意しているわけではありません。という記述をなるほどと思って読みました。

わかりにくいワイルドローズ
ワイルドローズの強いネガティブな状態の人は、そもそも良くなろうとコンサルテーションを受けることはしないのかもしれないと思うことがあります。私たち一人一人も、自分のワイルドローズを自覚するのは難しいことだと感じています。
気力もわかない、考えたくもない、行動もしたくない、全てが面倒くさいと思われることはありませんか?
この場がうまくいくように、自分の気持ちに折り合いをつけて妥協することはありませんか?
片づけることもできなくて散らかり放題の家の中、その精神状態は?
自虐的に自分を無視してしまうセルフネグレクトは?
限界を超えて頑張り続けた(オークの状態)あとに、虚無感に陥り何もしたくなくなるのは?
ひょっとしてそれはワイルドローズかもしれません。
どうやらワイルドローズに気づくまでには多くの葛藤と、多くの感情を通り過ぎて来なくてはならないようです。
わかりにくくて、とりにくいレメディですが、必要だからバッチ博士は38種の中に入れた…そこには深い意味があるように思います。博士が生きていたら、その意味を聞いてみたかったです。

ゴースとワイルドローズよくわかったつもりでいても、わからなくなることがあります。ゴースとワイルドローズ。
「バッチの花療法」p.265 に、絶望感に関する違いが書かれています。
ワイルドローズ:感情が麻痺した状態…完全に受け身な態度
ゴース:かつては希望を持っていたことがあったが…自分の夢を葬り去らないといけないと考え、今は絶望している。
 

ゴースは「内心の不確かさ」ゆえに希望を捨ててしまったのです。自分から放棄したというところが、いくぶん能動的と言えるのでしょう。

ワイルドローズのカテゴリーは「現実の状況に無関心」です。
意志があって行動は生まれますが、他人との関係の中であきらめざるを得ない状況になってしまったために、意志の力が働かずに無関心になり、今必要な行為をしていないということなのではないかと思われます。
そんな時は「ニーバーの祈り」を思い出してみましょう。

神よ
変えることのできるものについて
それを変えるだけの勇気をわれらに与えてください
変えることのできないものについては
それを受けいれるだけの恩寵さを与えてください
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを
区別する賢さをわたしに与えてください。

ただ一日一日を無事に生き
ただ一瞬一瞬を味わい楽しむ
苦しみも平和へ続く道として受け入れ
イエスの如く、この罪深い世界をあるがままに理解して後悔せず
主の意志に身をゆだねたなら、すべてをあるべき姿にしてくれると信じて
そしてこの人生が適度の幸福を
来世で、主と共に至高の幸福を感じることができるように


コンサルテーションではその人の行為と、魂の使命とが結びついているか否かに目を向けることも大切です。
いつまでも固執して行為に結びつけられない時はレメディの助けを借りましょうか。

レメディはどこにはたらくのか
「生まれてきたことがワイルドローズだった」と言われた方がみえました。人は生まれ変わるものだと考えると、そのたびにカルマを重ねてきていることになります。表には出ないけれど、ふと触れてしまうような感情や、生まれ持っている何かが感じられる時、前世に遡ってワイルドローズのレメディは光を当ててくれるのでしょうか。過去は全て今の自分に同居している…仏教では阿羅耶識、もっと壮大にアカシックレコードレベルでの反応があるかもしれません。感情の色々な階層でのワイルドローズが、レメディをとることでどう変化していくのか感じていきたいと思います。
「バッチの花療法」p.264にワイルドローズのネガティブな状態の人は、高次の自己から切り離された人格のレベルに縛られた生き方をしている とあります。「汝自身を癒せ」第二章に、恵みと愛で輝く太陽の中心から数限りない光線があらゆる方向に放射されていて、私たちはこれら光線の末端にある粒子であると書かれていますが、みんな繋がって一つであると思えるようになるまでには、末端にいる私はたった一人、独りぼっちだという感情を味わう過程が必要なのかもしれません。受け容れた先にある涅槃寂静たる景色を見てみたいですね。

会が終わって、ローズヒップティーにワイルドローズのレメディを入れていただきました。ワイルドローズの世界から日常に戻ったような気がしました。

次回はマスタードです。ぜひご一緒に。
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bachmania38

Author:bachmania38
東海地区バッチフラワーレメディのプラクティショナーのコミュニティー「BFRP東海」のちょっとマニアックなブログです。

バッチフラワーレメディやレメディの開発者であるバッチ博士の哲学の研究や研修の報告をはじめ、レメディのもとである植物の詳しい観察記録などを綴っていきます。

公式ブログ「バッチフラワー東海だより」のきょうだいブログです。

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