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第10回 レメディ研究部 活動報告 ビーチ

ビーチ
人生の状況に対して不満を持ち、狭量で人のあらを探し、非難する。
周囲の世界が完璧でないことを非難し、一方的に判断を下し、とても批判的。


他人のあらは、どんなに小さなものでも見つけるが、自分の欠点には甘い。ビーチのこのような性格が表れている人は他人にばかり目がいきがちで、自分の内面に目を向けたり、体験したことを消化することができません。このような否定的な態度は、大いなる宇宙全体の統一性をも害します。 (バッチの花療法 p55.56)

自分の中にこのようなビーチを感じてしまった時や、「あなたはビーチですね。」と言われたら、どんな気持ちになるだろう。喜びとともに受け入れるのは難しく、「あー嫌だ、嫌な私」と感じることが多いのではないか。
ビーチを感じる人は親に育てられた時に、
良いところを見てくれるより、悪いところを指摘され、それを直すように働きかけられた。
とか、他人を批判しながら「ああいう風になってはいけない」と
他人のマイナスを見る癖を知らず知らずのうちに植え付けられたような気がする。
という振り返りが多かった。
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周りを批判することで、自分を守ろうとしているようなビーチの森は、ある意味では静かで落ち着く
守られた空間でもある。しかしひとたび森を出て外から眺めると、その狭さと、
人に向けられる批判の矢が良いものではないと気付く。
自分の家族のマイナスな一面を、家を出て感じたということだ。

しかし、自分で意識し悩み、あるいは指摘されて悩むビーチに対して、
「その矢を相手に向けさえしなければ、いいことと悪いことが判断できることは素晴らしい能力である。」という言葉があたたかく寄り添ってくれた。

ビーチのプラスのとらえ方

昔、文字はビーチの樹皮に刻まれた。ビーチという単語は多くの言語において「本」の語源になっている。
ビーチの人は優れた知性を持ち、分析能力と理解力の或る人。
繊細なアンテナで、物事を敏感にとらえて、気にして気付ける能力に長けている。それがマイナスに出ると批判であるが、個性や特徴を違いとしてわかるということは一つの能力である。
そんな自分の状態に気付くことができれば、批判を修正することはたやすいかもしれない。

フランスのカフェで、知性溢れる議論を闘わせている雰囲気を想像してみよう。自分の価値観を論理的に相手に対して開きながら、すり合わせていくような作業は、ビーチがバランス良く表れている状態でなんとも好ましく感じられる。

批判もしないかわりに、その場の雰囲気に迎合するかのようにただ相手を褒めるだけでは、何の判断もせずに合わせるだけで、それが最善であるとは思われない。認めているふりをするだけで、アグリモニーであるとも言える。
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身近にビーチを感じる時

テレビを見ながら批判を繰り返す家人に対して、批判的な思いが湧いてくる。尋ねてみると嫌だから批判しているわけではなく、気付かずに言っているようだ。家人は、ただ自分も意見を述べているにすぎず、その行為を批判ととらえて批判している自分がいるのだということに気付く。
人の行為や物事の善し悪しを判断する基準も、自分の許容範囲や経験や状態に左右されるものであり、つまり言葉自体はいいも悪いもなく、そこに自分の内面が映し出される。つまり、自分の問題なのではないか。批判をする人は相手の中に、批判をしたくなるような自分を投影しているということだ。

他人に対してだけではなく、自分に対しても今の自分を批判してしまうというビーチもある。ベクトルが自分に向いた時、そしてそれが罪悪感(パイン)でもなく、自己嫌悪(クラブアップル)でもない時、自分に対するビーチに、繊細に気付く。

ビーチには相手に投影された自分が浮かび上がり、それがホリーであったり、ウィローであったり、パインであったりする場合もあるように思える。ビーチになりすぎる自分をチェリープラムでバランスをとるということもできそうである。

ビーチの人が行動を起こすとバーベインに。超ビーチになるとクレーマーやモンスターペアレンツのようになってしまう場合もある。

魂のタイプではなく、何かに反発した嫌悪感によって、徐々に積み上げられた状態で、人生が思い通りにならないので、あらゆる人や物事を批判し、いかに全てが間違っているのかを教えようとする (植物のかたちとはたらきp.218) それは間違った場所に置かれた善かもしれない。平たく言うと、自分を正当化しているだけ。正すべきはやはり「自分」なのか。

カテゴリーから考えるビーチ

人のことを気にかけすぎる ─ ビーチ、チコリー、バーベイン、バイン、ロックウォーター、

雪の降り積もる冬のビーチの森は、他の生き物の気配さえ感じられない。誰かを批判するような 人差し指を思わせる冬芽も雪に覆われて、黙って佇むビーチ。 他者との関係で生まれるビーチの感情は、周りを気にすることなく没頭するものを得ていたり、余計な事を考える暇もないほど忙しかったり、仙人のような暮らしをしていたら生まれてこないのだろうか。しかし、生きていく上では様々な場面で人と関わらずにはいられない
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他人の幸せを気にする、という「幸せ」という言葉が、そこに妬みや羨ましさや憧れという厄介な問題をはらんでいるようにも思える。「他人の不幸は蜜の味」という感情は、人間誰でも大なり小なり抱いてしまう人間くさい感情である。 封じ込めずに認めることができたらいい。
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自分で自分を律して他人の手本になるように完璧さを求めるロックウォーターは、自己の中で完結し、他人を批判することはない。しかし、自分の完璧さを外界と比べて、周りに対しても完璧を求め始める時、ビーチが表れるのかとも思われるが、ビーチは始めから「完全」なのであり、完全を求めようと意図的に努力して達する「完璧さ」とは微妙に違うようにも思われる。そういう他のレメディのとの違いも改めて考えさせられた。

耐えてきたビーチ

陰樹であるビーチは、陽樹が茂る森の中でわずかな陽光を頼りに耐えに耐えて幾年月も生きる。ある時陽樹が倒れ、森に光が入ると一斉にスタートする生存競争に、先んじて耐え忍んでいたビーチは勝ち、こうして自然の森の遷移はビーチの森で完成する。

理解と寛容のプラスの性質が、あまりにも自分を抑圧した状況に追い込み(とてもセントーリー的)、それが批判となって表れるとも言える。ビーチの人には胸焼けや口内炎が起こりがち。 もっとバランス良くあればよいのかもしれない。

とてもビーチである人が、同時にセントーリーで苦しんでいる。そういうケースはあるようだ。しかし、NO!と強く言うという自分にない行動をあえてしてみてもやはりそれは自分ではなく、結果生じた状況は生きづらい。やっぱり私はこれでいいんだ、と思う。 それは受け入れるということ?
まず自分を受け入れ、周囲に対してはジャッジして批判の矢を向けるのではなく、受け止め、そう感じる自分にも深い気づきを得る。

実は、葉を茂らせて陽光を締め出すビーチのもとで、他の植物は育たない(育ちにくい)が、ホリーだけは育つと言われている。 信じること、愛することを知っているホリーは、許容できないビーチを包み込む。 優しさと寛容さを持っているビーチは、憎しみと怒りのホリーを包み込む。 それぞれの持つプラスの性質がそれぞれのマイナスを包み込んで、共生できるということなのだろうか。とても興味深い。

コンサルテーションに生かす

批判的で狭量なビーチというネガティブな指標ゆえに、受け入れがたい気持ちを抱きがちなビーチの美しさ、強さ、知性、分析力、完成された姿… ビーチについて語り合う時間の中で、たくさんの素晴らしい性質を知ることができた。 ビーチだと自覚した時、相談者さんに伝える時に、バランスが取れた状態のビーチが、いかに素晴らしいかに思いを至らせたい。
植物に嫌な子なんていないように、レメディにも嫌いなレメディはないはず。
ビーチを意識したら、東山に行って、ビーチの森に座ってみるといい。とても静かで、教会のような荘厳さに包まれて、守られた安心感の中で深く考えるのだ。

それぞれの個人が、そしてすべてのことが、それぞれ異なった仕方で最終的な完全さに向かって進んでいることをもっと理解し、寛大で、情け深くなることができるでしょう。 (トゥエルブヒーラーズビーチより)
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bachmania38

Author:bachmania38
東海地区バッチフラワーレメディのプラクティショナーのコミュニティー「BFRP東海」のちょっとマニアックなブログです。

バッチフラワーレメディやレメディの開発者であるバッチ博士の哲学の研究や研修の報告をはじめ、レメディのもとである植物の詳しい観察記録などを綴っていきます。

公式ブログ「バッチフラワー東海だより」のきょうだいブログです。

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